人は一体何のために生まれてきたの?〜その⑤ 自己表現〜

  • 2018年11月14日
  • 人生
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人は一体何のために生まれてきたの?〜その① 個性〜
人は一体何のために生まれてきたの?〜その② 成熟〜
人は一体何のために生まれてきたの?〜その③ シンプルに愉しむ〜
人は一体何のために生まれてきたの?〜その④ 仲間〜

人は自分を表現する為、この世に生を受けました。

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自分にしかできないこと。
自分にしかできない表現。
それを耳に届く音で。
目に見える動きで、色で。
心に響く言葉で。
世の中を変える法律で。
未だかつてない文明の利器で。

他の人にはできなかったことを生み出していくこと。
その意欲は終生消えることはありません。
職業に依らず、役割に依らず、年齢に依らず。
いつ如何なる時も表現に対する情熱は消えません。

もし、表現に対して意欲的でなくなっているのならば不自然な状況です。
特に表現したいことはない。
表現する気もない。
それは自分に嘘をついているか、もしくは心の声に耳を閉ざしているかのどちらか。

それくらいに表現することは人生と切っても切れないもの。
歴史に名を刻む偉人が没頭したことは自己表現です。
ピアノに向き合い、体の躍動に身を任せ、キャンバスに魂を込めた。
何枚もの原稿を丸めては捨て、暗殺を恐れることなく、失敗を成功の母とした。

食べることも寝ることも忘れて没頭する。
これは偉人だけに許されたことではありません。
人は誰しも我を忘れて、空腹も忘れて、時間が経つのも忘れて没頭します。
自己表現は偉人だけのものではありません。
そして表現の対象は一般的な”仕事”の範囲に収まるものでもありません。

鼻歌でオリジナルのメロディーを奏でる。
砂浜で城を築く。
プラモデルに自分好みの色を塗る。

これも一つの自己表現。
そして、それは一つの価値創造。
生まれた瞬間は自分だけの価値。
人の目に焼き付き、人の耳を震わせた時点で誰かの価値になります。

その価値は目の前の大切な人の幸福かもしれません。
その価値は違う国の誰かの希望になるかもしれません。
その価値は、もしかしたら誰にも届かないかもしれません。
でも、誰かの価値になることに過剰な期待をしなければ自分にとっての価値を損なわれることはありません。

誰かに価値が届いた時点で、価値は形を変えます。
笑顔かもしれません。
感謝の言葉かもしれません。
お金かもしれません。

そして、その価値の源は形を問いません。
我が子のための折り紙。
相手の心を癒す言葉。
親身になって悩みを聴く姿勢。
誰かの為に何かをしたいという気持ちがあれば形に制限はありません。

誰しもが表現者であり、クリエイターです。
誰しもが価値創造の能力を与えられています。
そしてその表現を届けたいと願います。
同時に、誰かの自己表現を受け取ることを願います。
誰しもが表現の交感を望んでいます。

人は自分を表現する為、この世に生を受けました。
でも、多くの人が自分の内奥になる価値を表に出すことを恐れます。
他人の評価や批評を恐れて心の引き出しに仕舞います。
その価値の役割をお終いにするかのように。
多くの人は形に現すことを躊躇います。
どこかの誰かの尊い価値になることを知らずに。
どこかで知っていながら、知らない振りをして。
自分が傷付かない為に。

自己表現には勇気が必要かもしれません。
自己表現には自分が打ちのめされる覚悟が必要かもしれません。
ほんの少しの勇気。
ほんの少しの覚悟。
その積み重ねが人生の深みを決めます。
自分を心ゆくまで表現する人生。
それは誰もが望む道でありながら、殆どの人が歩まないと決めてきた道。
でも、それは誰もが歩むことができる道です。
その道は、ほんの小さな一歩から始まります。

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