人は一体何のために生まれてきたの?〜その① 個性〜

  • 2018年11月6日
  • 2018年11月6日
  • 人生
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「知らんがな…」

では済まされないテーマですね。
今までに似たような内容で書いたことがある気がするのですが、改めて書いてみます。
切り口によって答えが変わってくるのですが、深く考えずにいきましょう。

先ずは個性を極めること。
今際の際で看護師さんに、

「あれ、やっとけば良かった…」

と弱々しく語られる後悔は”没個性”が原因です。
子ども、学生、会社員、家族という社会から与えられた枠組みでの判断の積み重ね。
人生の旅路のどこかに点々と”自分らしさ”を置いてきてしまったわけですね。
体が動くうちは取り戻せることもありますが、ベッドから動けなくなってしまっては限界があります。
残されたのは看護師さんへの後悔の吐露。
ただ、それだけ。

特に日本人は自分の人生を生きていない民族です。
社会のルール、敷かれたレール、誰かからの期待といったものに乗っかって生きる。
そんな人が多いでしょう。
かく言う僕も、高校の時にパティシエになりたい気持ちがあったのですが、

「何言ってんの!あんた!」

という母の一言で一蹴されました。
進学校に通っていたので、母としては良い大学、良い会社というレールが僕の為と思っての発言だったかと思われます。
大きな後悔というわけではないのですが、こうして思い出すということは後悔の一つなんでしょう。
きっと。

今はパティシエになる気持ちは全くないのですが、居酒屋やカフェをプロデュースしたいという気持ちは残っています。
食べ物に関わっていたいという部分は形を変えて息づいているわけですね。
実際に居酒屋を立ち上げる話も進めているので、大きな後悔には到っていないのでしょう。
もし会社を辞めずに今も毎日スーツを着て働いていたら後悔の念は違っているかもしれないですが…。

さて。
個性が大切な理由は本能のようなものでしょうか。
個性信仰のようなものも何となく存在しますよね。

・髪型
・服装

のような見た目の部分から、

・キャリア
・生き様
・使命

のような見えない部分まで。
個性的であることが賞賛される雰囲気があるのは事実。
実際に個性的であろうとする欲望を利用して資本主義は消費を煽っています。

一方で。
個性的であると全体から浮いてしまうことを恐れる気持ちも存在します。

・派手で個性的な服を着ていたら白い目で見られる
・自分の意見を正直に言ったら排除される

何者かによって作られた常識に乗っかっていた方が楽チン。
全体性を重視する方が人生に波風は立たないんです。

さて。
なぜ個性的であろうとするのか。
本能と言ってしまうと、身も蓋もないのでヒントになる動画を。

静止画でもどうぞ。

スクリーンショット 2018-11-06 15.52.28

チャールズ・ブコウスキーの”THE LAUGHING HEART”という詩です。

神様が、

「全知全能を止めたらどないなんねやろ?」

と思いついた瞬間に、この世界が生まれました。
知らないことがある存在、できないことがある存在。
そんな不完全な存在が生まれた瞬間。
不完全な存在だからこその輝きを神様が見たかった。
全体が一つに集約されていたら見ることができない姿を見たかった。
分離しているからこそ。
視点があるからこそ。
違いがあるからこそ。
だからこそ生まれる光を見たかった。

今は76億人という人間が地球上に存在しています。
76億種類の全く異なる個性。
その一人一人が違う輝きを持って生まれてきました。
個性を楽しむために。
一人一人が違う人生を歩むために。

ところが、この世界は順風満帆とは程遠い世界。
輝きを覆い隠してしまうようなことばかりが起こります。
気が付いたら個性は全体性に覆われて見えなくなってしまいました。

地味な服を着て。
発言を控えて。
空気を読んで。

自分らしくない土台の上に、苦し紛れの個性を表現する悪あがき。
残念ながらアクセサリーでは本当の個性を表現することはできません。

自分だけの人生。
自分だけの世界。
自分にしかできないこと。
自分だからこそできること。

そんな突き動かされるような気持ちこそ個性の源泉があります。

他人の人生を生きることなく。
誰かが作った常識を守ることなく。
誰もができることを妥協と惰性で続けることなく。

ホンモノの個性を発揮して生きる。
不完全だからこそ。
何も知らないからこそ。
不器用だからこそ。
だからこそ尖ることのできる個性。
だからこそ鮮やかな個性。

そんな個性を貫くこと。
死ぬ瞬間まで貫くことにこそ、人生の醍醐味がある。
そう思います。

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