宗教について教えてくださーい♪

重いテーマなので見出しくらいはポップにしておきました。

質問者の方には最近全く興味が無い宗教がやってくるみたいです。
片っ端から入れば、どこかで救いが待ってるかもしれませんね。
言うても新興宗教は昔から続いている宗教をポップにアレンジしたくらいです。
そこに入ってあれやこれやするくらいなら、キリスト教と仏教の掛け持ちすれば良いかな?
何か部活みたいで楽しそう!
でも宗教側からするとNGですね。
信仰の自由はあっても信仰の中に不自由がありますから。
唯一神教と多神教は矛盾してますからね。

何かもうこの時点でうさん臭くなってきましたね。
神様の数とかどうでもえぇやん、みたいな。
神様の数が人間の幸福感に影響するなら人気宗教が偏るはずですからね。
要はどっちもどっち。
どちらを信じても大差はないでしょ。
それならいっそ空飛ぶスパゲッティ・モンスター教にでも入る方がいいかも?
天国にはストリッパー工場があるらしいので前向きに検討しているところです。
早く召されたい!

さて。
これはもう当たり前田のクラッカーかと思いますが、宗教批判をしておきましょう。
つまり、どの宗教もうさん臭いんですね。
ユダヤ、イスラム、キリスト、ゾロアスター。
もちろん仏教も神道も含みます。
どれもこれもうさん臭い!
もちろん新興宗教は言わずもがな。
残念ながら空飛ぶスパゲッティ・モンスター教もうさん臭いのは事実…。

「人の信仰を踏みにじるのか?!」

みたいな批判をされそうですが、無視しましょう。
正味、踏みにじってます。
でも、貴方のことを踏みにじってるわけじゃないよ?
勘違いしないでね?
貴方が持っているもの、信じていることを自分と同一視する罠にハマってるだけだよ?
大丈夫?
貴方は貴方ですからね。
自信を持って信仰したら良いんじゃないですか?
僕の意見なんて関係ないです。

勢い余って自己肯定感の低い人も踏みにじってしまいました。
話を戻しましょう。
そう、宗教はうさん臭い。
キリスト教の処女懐胎とかうさん臭くないです?
ちなみに宇宙人がマリア様に人工授精した説もありますが、これまたうさん臭い!
さらに言うと、

「処女なのにスゲー!キリスト教すげー!」

という反応を狙って、わざわざ書いてあるっぽくないです?
これもまたうさん臭い!
例えにキリスト教を引き合いに出してしまいましたが、うさん臭いことのオンパレードなのが宗教ですね。

さて。
宗教=うさん臭い。
これは大前提なわけですが、ムハンマドやキリストやブッダはうさん臭くありません。
むしろ良い匂いがします。
彼らが実際に言ったことかどうか確認のしようもありませんが、経典には真理が垣間見えます。
イスラム教ならムハンマドが生まれた時代背景に必要だった真理が語られているわけです。
ムハマンドさんのテーマは法かな?キリストさんは愛?ブッダさんは慈悲?
そこら辺はちゃんと分析していないので何とも言えませんが、それぞれが微妙に違ったことを言っているのは、その時に本当に必要なことにフォーカスしているからだと思います。
今は違う宗教となって争いもありますが、彼らはその時代において人を救うために必要だったことを頑張って伝えただけ。
もしかしたら、彼らが話す真理だけを集めて経典にしたらうさん臭くない宗教ができるかもしれませんね。

さてさて。
もちろん宗教をうさん臭くしたのは宗教団体に関わった人たちですね。
最初の頃は経典をまとめ始めた人たち。
それから時代を経ていくと宗教団体で権力を持った人とか。
そこらへんの宗教の闇については割愛しますが、お坊さんが戦争する時代があったくらいですからね。
ブッダさんも浮かばれないでしょう。
ちなみに神道も例外ではありません。
今の神道のイメージは古事記・日本書紀がベースになっていますが、これも時の権力者によって作られたものですからね。
本来の神様とは違うエピソードを織り込んで、政権の維持に利用したのは言うまでもありません。
ホツマツタヱなどの歴史書も頭に入れて理解しないと、真理が秘匿されている可能性があるんですね。
困った困った。

これ以上細かいことを突っついてもしょうがないので、本題に移ります。
もうお気づきかと思いますが大切なのは”真理”です。
真理かと思いきや嘘が混ぜ込まれていたり。
嘘かと思いきや真理を伝えていたり。

「もう何がホントのことなの⁈わからない!教えて教祖様ー!」

なんつって信仰宗教に入ったりするのかな?
その宗教にとって都合の良いことしか教えてくれないですけど、答えがあるから楽ですね。

「素晴らしい教え!それが私の生きる道!」

なんつって布教を始めるのかな?
与えられた答えに満足して、

「ハッピー!これを誰かに伝えたい!」

なんてキラキラした目で近寄って行って冊子を渡す。
別に自由なんで構わないんですけど、キラキラした目の奥に真理はないような気がします。
教義に依存することで得られるキラキラや充足感は一時のもの。
恍惚としている時は良いですが、長続きはしません。
誤解をしないように言っておきますが、新興宗教で救われる人もいるのも事実です。
でも、依存心を利用して人生を翻弄するビジネス団体もあることは忘れてはいけません。

ちなみに本当に必要な考えは宗教に入らなくても学べます。
何なら漫画でも学べるわけですからね。
聖☆おにいさんの中でのキリストとブッダのやり取り。
そこにある真理に気付けば生きやすくなるのは冗談ではありません。
きっかけは何でも構わないんです。
生きやすい考えを手に入れて、それを行動に移していくだけで構わない。
そのきっかけを与えようとしたのがキリストであり、ブッダであり、ムハンマドであったということ。

ム「富は多額の財産によるものにあらず、満足した心からなり」
キ「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ」
ブ「例え『これは自分のものだ』このように思っても死ねば失う。『自分のもの』という幻想に負けてはいけない」

ムハンマドの言葉は前回の記事で出てきましたね。
最後のブッダさんの言葉は執着をテーマに書いた時に書いていますね。
自然と彼らが言った(と思われる)言葉を自分に取り入れています。
ちなみにどの経典も読んだこともありませんし、仏教に帰依している自覚もありません。
色々な経験や書物の中で学んだことです。
ちなみに☝の言葉はGoogle先生に質問したら名言を教えてくれました。
宗教を超越した神様に対する考えもググれば出てきますしね。
もう宗教の価値なんてないような気がしていますが、どうでしょう?
やっぱ要るのかな?

さてさてさて。
ここまでは一般論に近いでしょうか。
僕の一般は世間ずれしているかもなので当てにならないような気もしますが。
ここからはアクの強すぎる持論なんで参考程度に。

僕は敢えて言うなら神道寄りです。
と言っても神道は宗教宗教していないのですが。
さらに感覚としては神道ファンといったところでしょう。
八百万の神様大好き!みたいな感じです。
ミエル人から縁があると教えてもらった神様を祀る神社に参拝するのが趣味ですからね。
でも、御朱印集めが目的みたいな遊び感覚はありません。
楽しみながらも謙虚に神様のことを学び、感謝をし、自分を顧みる機会にしています。
神道は日本にしかありませんし、その教えが日本人に根付いているのもいいですね。
最近はブログ記事で日本人を盛大にディスってしまいましたが、神道は大好きです。
たぶん日本がややこしくなる前は日本人も良い感じだったんじゃないですかね?
しらんけど。

上から目線でアドバイスするなら日本人らしく生きるのが良いんじゃないでしょうか?
初詣に行って、豆まきして、お盆にお墓参りして。
ただ、何気なく行事をこなすのではなく、根底にある意味について興味を持つことが重要です。
暦、陰陽五行、神仏習合、自然崇拝etc.色々な要素があって今の習慣に結びついています。
その習慣が始まったルーツを辿ると重要なことが見えてきます。

もちろんハロウィンの仮装を楽しむのは結構です。
でも、ご先祖様のお墓に行く交通費をケチって衣装代に使うのはどうなの?
みたいなことは思います。
初詣に欲望丸出しのお願いごとをするのも結構です。
でも、お賽銭を放り投げて感謝もしないのはどうなの?
みたいなことは思います。
日本人は先祖を敬い、モノを大切にする文化があるはずです。
ぜひ日本人として大切なことに興味を持ちましょう。
日々の行いを丁寧に積み重ねましょう。
何よりも自分を丁寧に扱うことも忘れずに。

こんな感じで色々興味を持って学んでいるうちに、自分の中に教えのようなものが育まれてきました。
僕の心には八百万の神様と八百万の過去に精一杯生きた人の教えが根付いているわけですね。
その中から自然と導き出される答えが自分の正しさでいいじゃん!ってなりました。
もう自分の心や肚が納得する正しさで生きればいいじゃん!みたいな。
もちろん全てを学ぶことはできませんが、本当に大切だと感じることを肚に落として実践しています。
そしてそれを積み重ねています。
もちろん、時には大切なことを忘れてエゴちゃんに翻弄されることもありますよ。
でも、しょうがないじゃない。
人間だもの。

〆ようかな?と思いましたが、延長戦。
世界一周している時に興味深かったのは外国人の祈る姿でした。
現代の日本人は普段祈りません。
でも外国に行けば祈ることが当たり前です。
キリスト教でも食事の時に祈りを捧げますしね。
ちなみに仏教にも同じようなものがありますが、日本人は殆ど知らないんじゃないでしょうか?

大切だと思うのは祈りの中でも感謝の祈り。
神様だけでなく色々なことに感謝する祈りが存在します。
その習慣があるだけで、感謝に気付きやすくなるのではないでしょうか。
言い方はアレですけど感謝の装置としての祈りは必要な気がしています。
となると、やっぱり神社の参拝が良さそうですね。
神様の前で心からの感謝をする。

自分の中にある神様に。
神様の中にある自分に。
自分の写し鏡である他者に。
自分を育む自然に。
この瞬間に命があることに。

今、気付きました。
神様がいるのが当たり前の前提で話を進めてましたね。
まぁ、別にどっちでも構わないんじゃないですか?
全てのことに心からの感謝ができるのであれば。
うさん臭いと揶揄し続けた宗教もあって良いんじゃないですか?
教えを通じて人にも自然にも愛を込めて接することができるようになるなら。
でも、これができる人は神の存在を感じ、宗教の必要性を感じなくなる気がします。
なので、もし僕が宗教団体に入るのであれば卒業制度のある宗教団体でしょうか。

「あんたは神様の存在を感じて日々謙虚に生きいている。
 あらゆることに感謝でき。良い行いも自然とできている。
 立派な大人になったね。卒業おめでとう」

みたいな。
というわけで。
立派な大人になりましょうね。

by 立派な大人になりま教 教祖

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