不明!不明!行方不明!
そう。
僕の笑顔はどこに行ったのか見当もつきません。
一族郎党根絶やしにされたわけでもないんですけど、笑うことを忘れてしまったんです。
と言いながらYouTubeの動画では爆笑してます。
笑うことが…できない…。
というのは、ちょっと盛ってしまった感はあるのですが、笑顔が少ないのは紛れも無い事実です。
何となく自覚していましたが、昨日友人の意見を聞いて確信しました。
僕は笑顔を忘れた哀れな男。
さて。
僕が笑わない理由を考えたんですけど、0.1秒で答えが出ました。
“おもしろくないから!”
笑わないんですね。
そりゃせや。しゃぁない。
というのも、僕は産まれた瞬間から人を笑わせたり、楽しませたり、驚かせたりしてるんですね。
昨日、ふと想いを馳せて確信しました。
アマチュア芸人歴37年。
けっこう筋金入りです。
なので大抵の笑いについては想定の範囲内になってしまってます。
「あの人っておもしろいよね」
「せやな(せやろか?)」
みたいな感じで、人のことを面白いと思うこともありません。
ちなみに自分で自分が面白いとも思いません
。
普通です。
話をする人の相性によっては面白さのカケラもない時がありますしね。
でも、人によってはメチャクチャ面白い話ができる時もあります。
ほんと相性次第。
ただ、面白いとは何か?
ということについては深掘りしてきています。
幼少の頃から吉本新喜劇を見て育ちましたし。
面白さ至上主義の関西で育ってきましたから笑いに対するハードルは自然と上がるわけです。
「せやかて笑顔を取り戻したいんや!」
では、どないしよか?
という話で友人から出たのが、
「話の中で何か面白いアイディアが生まれた時も笑顔になることあるでしょ?」
ということ。
なるほど、である。
笑いとは、驚きにも似た感覚です。
今まで繋がったことのなかった物事が思いがけず新たに繋がった時に笑いが生まれるという解釈があります。
「そうきたか!」
という予定不調和の瞬間です。
そんな瞬間は笑顔を忘れた哀れな僕でも笑顔になれるんですね。
希望はYouTubeの外にもあったんです。
一安心。
となると解決策は1つ。
話していると面白いアイディアが意図せず生まれちゃう人との時間を増やせば良い。
簡単、である。
ただ、そんな人に出会うのは簡単ではありません。
でも不可能ではありません。
出会いの機会を増やしまくれば、いつか出会います。
下手な鉄砲数打ちゃ当たるんです。
当たるまで、打てってことです。
ちなみに当たった時には腕前も上がっているので、波長が合う人を見つけるのが格段に早くなってます。
これは自覚があるので間違いありません。
同時に合わない人と距離を取る割り切りもできるようになります。
結果、ゴキゲンな人に囲まれる環境が出来上がります。
最高です。
もちろん誰かに嫌われることもあります。
でも、そんなの関係ねぇわけです。
敵意も悪口も受け流して終了です。
嫌われるストレス、人目によるストレスを避けてるようでは良い環境は作れません。
都合よく快適な環境を作れるほど世界は甘くない。
世知辛いんですよ、世の中って。
だから好きな人に囲まれるには、人を好きになるには覚悟が要るんです。
覚悟がなければホドホドに好きな人にボチボチ囲まれるだけ。
等価交換の法則です。
話が逸れつつありますね。
長くなってきたのでまとめます。
笑いには色々あります。
その1つの
「イヒ!」
という旭化成的な笑い。
これを増やしていく意識って大切かな?
なんて思うわけです。
新しいアイディアが生まれた瞬間の笑顔。
笑顔が生まれた後に口をついて同時に出る
「いいね!」
「いいね!」
後は楽しいことを考える時の笑顔が溢れる時間が流れます。
時に面白くてしょうがない笑顔も生まれます。
笑顔が行方知れずだった僕に差した一筋の光明。
何だか温かそうな感じがする光です。