人生の話をする時たまにマイノリティとマジョリティの話をします。
成功するために、後悔しないために必要な指針の一つがこれ。
結論から言うとマイノリティを目指していればOK!という話。
僕の人生を例に挙げましょう。
・営業職を10年続ける
これはマジョリティ。
・営業職を10年続けて辞める
これはマイノリティ。
脱サラしたから成功者なの?みたいな思考の人は一生マジョリティ側の人間でしょう。
それが悪いとは言いませんが、一般論として死ぬ前に後悔の念が湧いてくるらしいですよ?
「もっとチャレンジしておけばよかった…」
ってな感じで。
さて。
マイノリティの話に戻ります。
マイノリティ側にいることは辛かったりします。
僕は派手な色の服を着ることが多いのですが、必ず観察されているような視線を感じます。
これは鬱陶しい。極めて。
でも自分の似合う服を悩んで買って、似合うようにコーディネートした結果は出ます。
「それどこで買ったの?似合うね!」
みたいなことを言われるんですね。
これ、重要なんです。
服に限らず人と違うことをしていると何かが起こります。
勇気を出して人と違う意見を言っても何かが起こります。
何かが起こっていないように見えても水面下で何かが起こっています。
その何かの積み重ねが財産になるんですよね。
逆にマジョリティの中で積み重ねているつもりになっている人が多いとも思います。
人の優劣でも貴賤の話でもありませんよ?
どれだけ面白い人生を送れるか?という僕の勝手な判断基準の話です。
“意見を言う”をテーマに話を進めてみましょう。
僕が誰かに対して、その人に関する意見を言うと反発されることがあります。
相手の本質を突くと、それが目を背けたい部分だった場合感情的な反応が返ってくるんです。
僕としては傷つけるつもりはないんですけど、勝手に傷ついて手負いの獣みたいになっちゃう。
それを理解した上で僕は話をしますが、多くの人は嫌われるのを恐れて何も言わないというマジョリティの選択をします。
特に数人で場を作っている時に☝のテーマが重要性を増します。
「あの人の話は良くないと思うけど注意するのもなぁ…」
みたいな。
自分が思ってるだけかもしんないし、みたいな理由をつけて黙ったりすることも多いのではないでしょうか?
でも勇気を出して意見を言うマイノリティの選択をする方が僕は後悔しないと思います。
もちろん、
・意見をぶつけた人から嫌われる
・周りにいた人から賛同されない
みたいなリスクはあります。
でも勇気を出して意見を言ってみると、
・意見をぶつけた人から感謝される
・周りにいた人から絶賛される
みたいなポジティブな可能性があります。
おまけに勇気を出すという経験値も手に入ります。
付け足しておくと、嫌われても賛同されなくても経験値は手に入ります。
もっと分かりやすい例えでも良かったのですが、あえてこのテーマを選んでみました。
派手な服を着る勇気より、嫌われる勇気の方が人生において重要なテーマだと思うので。
ただ共通するのは勇気を出してマイノリティに向かっていく方が良いよ!
ということ。
生まれた瞬間は何十億分の一のマイノリティの極みだったんですよね。
それが生きていると、どんどんマジョリティに飲み込まれてしまいます。
楽ですからね。
考えなくて良いし。
流されるだけで良い。
でも行き着く先を眺めてみると、今わの際に看護師さんに涙ながらに語るんです。
「言いたいことは、はっきりと言えばよかった…」
本で読んだだけですけど。
でも本になるくらい大切なことなんですよね。
さてさて。
もうちょっとテーマを深堀りする予定だったんですけど、思いのほか上っ面に文字を使ってしまったので〆ます。
もう一つ伝えたかったことはタイトルの通りです。
“少数意見”
マジョリティを維持するために封殺されるマイノリティでありたい。
そんなことを思う今日この頃。
年の瀬も近づいて参りましたが、お体に気をつけてお過ごしくださいませ。
ではでは、ほなまた。